2009年11月24日

歳をとって分かること〜永井荷風〜

帽子をかぶろうとして、
左手がふさがっていたので、
右手でツバを持ってひょいと放ったら、
頭を通り越して、後まで飛んでった。

あたりをキョロキョロ見回した。

誰も見ていない・・・・・・
よかった・・・・・

落ちた帽子を拾った。

そういえば、帽子、洋傘、コート、皮のカバン、
いつもこんないでたちの作家がいたっけな。

昨日、永井荷風氏の「ひかげの花」を読んだ。

永井氏については、中学3年生のとき、
雑誌に載っていた写真を見て
思いっきり引いた。

浅草のストリップ小屋でたくさんの踊り子たちに
囲まれて、にやけているオヤジ。

ほどいた毛糸を丸めるのを手伝う姿。

本を読むだけにしても、
なんだか近寄ってはいけない
人物なんじゃないかと敬遠した。

けれども今回、作家の宮本輝氏が、
読むのに何回も途中で投げ出した作品だと
書いてあったので、逆に読んでみたくなった。

いったい、どんなことが書いてあるのか。


戦前の東京。娼婦として働く女たち。
間借りをしながら生活する人々。
男も女も仕事がない混沌とした時代。
女の弱さと生きる強さ、
すがる男のずるさ、
けれど、互いに離れては生活できない男と女。

文の展開から、その時代の世間の様子、
ものの考え方がよく分かる。

永井氏は、女の苦労や、
女がとってしまう行動の仕方なさを
間接的に表現している。
それもさらりと。
だから、登場する女たちは、
時代に翻弄されながらも
生き生きしているような印象を受ける。

今の時代からみると、
苦労や仕方なさと見えることも、
その時代の女にはあたりまえのことで、
強さであり、潔さであり、
近寄りがたい凄さを感じる。

内容は、娼婦として生きる女を書いているが、
描写は、けっして妖しげなことはなく、
その点から言えば、ノーベル文学賞を受賞した
川端康成氏のほうがずっと不気味なエロティックさがある。

女性といえば、太宰治氏。
太宰氏はモテたし、
さまざまな事件もあって、
自責の念を綴ることはしているが、
男のずるさについては明らかにしていない。

永井氏の書いた文章には、
女性に対するやさしさが匂う。
でも、このことは、中学生のとき読んでも、
分からなかったと思う。
読まなくてよかったと思う。
そこで訳が分からなくなっていたら、
二度と手に取らなかったかもしれない。


戦後の作品、晩年の作品も
読んでみたい。


歳をとってこそ、だ。



<追記>

永井氏は、昭和34年4月30日、
二千数百万円(!)の銀行預金を残し、
医師、親戚、知己の世話にはならず、
自宅とはいえ、裸電球と蜘蛛の巣だらけの
六畳間の万年床に、
着たままの洋服姿で独り絶命した。
79歳だった。
近代文化を批評することはたやすいことだが、
近代文化を糾弾しながら、ぬくぬくと近代文化に
生きている文化人には近寄れない聖域だと
言った人がいた。
戦前、戦後と大きく変わった昭和の政治的、
社会的体制の中で最も変わったのは人の心。
荷風は、書物の上だけでなく、
自らの生活が近代文化のいかなる階級にも
所属することを激しく拒絶した。
種々の奇行を噂されながらも、
自在の生活姿勢を最後まで押し切ったことは、
誰にも真似はできない。
永井荷風・・・・凄い人だ。



posted by akane | Comment(0) | 日記
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