2009年09月18日

最高の場をつくる。

心身を上げて一射すべし。 世の中、政権交代、日本は変わるか? 国内外、様々な見解が飛び交う中、 私は、ただ弓を引くのみです。 作法や精神は、戦国時代とまるで変わらず。 的に中(あ)てるには、まったくもって非能率的な道具。 照準機もなし。 腕の力でなく体全体を使って引き、離す。 昨日は、高段の先生方の練習時間に参加させていただいた。 立ち(たち・・・・5人のグループで、決まった作法で順に引く。)を ひたすら繰り返す。 範士がじきじきに稽古をつけてくださった。 静まりかえった道場。 かすかに着物が擦れ合う音が聞こえる。 範士の声が飛ぶ。 私の参加した立ちは3回。 一回目。 1番前の大前(おおまえ)の人の動作に合わせなくては いけないところを2番目の人が早く動いてしまった。 3番目の私は、1番前の人に合わせれば良かったところを 2番目の人に合わせてしまい、後二人も早く動いた。 よって、肝心の1番前の人が一人、浮いた形になってしまった。 立ちでは、「追い抜き禁止」である。これは、絶対。 大前の呼吸に合わせなくてはいけない。 そうして5人そろってこそ、調和の美が生まれる。 2回目の立ち。 大前に合わせることで、今度は2番目の人を 半呼吸追い抜きそうになった。 「それは追い抜きだ!」 すかさず、範士のゲキが来た。 3回目の立ち。 今度、間違えたら、救いようのないアホ。 もう、真剣には見てもらえなくなる(と思った。)。 前、後、横、さらに一つ前、それから自分の位置。 場の掌握。 神経が5倍あっても足らないと思った。 目と耳、空気の流れを読む感覚・・・・・ キョロキョロできない。 一点を見つめながら全てを感じ取らなくてはいけない。 集中した。 3回目、やっとそろい始めた。 だが、今度は射がその場の雰囲気に流されてしまった。 技と心が一つになっていない。 ほんの10分のことなのに、 最初から最後まで気を抜かずにいるのは、本当に難しい。 やる前は自分にはできると思っていた。 でも、思っていた以上に合わせることができなかった。 まだまだだ。 まだまだ修行が足りないとつくづく感じた。 弓界のトップの方々は、一寸の乱れもなく立ちを行う。 それもいつもそのメンバーで練習をしているわけではない。 初めて会った同士のこともある。 それでもぴったり合う。一体化する。 それは単に弓道が弓を引くだけではないことを意味する。 的に夢中になるな。 礼を忘れるな。 弓道の最高目標は、和平にある。 私にとって、弓を引くということはどういうことなのか。 真剣に考える時期に来たと思った。 <追記> 中学校の教育課程において、 弓道を取り入れる指針が進みつつある。 何かしらの形で関わって行きたいと思う。
posted by akane | Comment(0) | 日記
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