2017年02月19日

過去ブログから〜その1「君に捧ぐ」


昨年7月、父は亡くなりました。
でも実は父は、自分が死ぬとは思っていなかったのです。

5月、定期検査に行って、結果が良くなかったため、
そのまま入院となりましたが、
良くなったら家に帰るつもりでいたのです。

6月末、転院した時、「こんなところにいたら死んでしまう。帰りたい。」
と、1回こっきりでしたが、姉に漏らしたそうです。

身辺整理もできず、住み慣れた家に別れもできず、
よくガマンしたなあ・・・と思います。

わたしは、悲しみにくれたわけではないですし、
父の死に納得もしているのですが、

(自分のことは自分で始末して死にたい。)

という思いが日に日に強くなっています。

昨日も書類を整理していました。
すると、過去に開設していたブログの記事を
印刷したものが出てきました。
9年前に書いた記事です。

父と母は10年ほど前に残り少ない人生と悟り、
今までの感謝を込めて互いに手紙のやり取りをしたんです。
それを母がわたしに見せてくれた時があり、
その手紙の内容に、わたしが伝え聞いてきた昔の背景を合わせ、
書いたものです。

父と母の記録をなんか残したくて、
この記事だけは印刷していたんですね。

このブログにも残しておきます。

もしこのブログを読んでいる方がおられたら、
良かったら、読んでください(^^)

相当、わたしの妄想文が混じってますが(^^ゞ

まずは父の手紙から。


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僕らが出会ったのは、戦後まもない頃で、
日本はこの先どうなっていくのか、全く想像もつかない時代だった。

君は18歳。僕は28歳。

僕らは結婚式の当日に、初めて会った。

君は、従軍看護婦を目指していたが、戦争終結とともにその夢が破れた。
僕は、南方の戦場から復員して日本に帰ってきたものの、生活のメドが
立たないままだった。

その頃、僕の手元にあったのは、わずかな田畑と軍事学校で取った教員免許。
その日暮らすのも精一杯の貧乏田舎青年で、戦場に行く前に一度結婚もしていた。
そのうえ、精神を患って離縁された叔母と、両親、一人の姉と二人の弟の大家族。
僕は結婚なんて、もう一生できないと思っていた。

そんな僕のところへ嫁いできた君。

不安はなかったの?
何を信じて来れたの?

僕は一目見て君が好きになった。

家の仕事も何もしなくていい・・・・・ただそばにいてくれるだけでいい・・・・。
僕の人生は救われた。

結婚してしばらくして君は言った。「あなたの写真をください。」と。
そして僕たちは互いに写真を交換した。

今まで言わなかったけど、僕は君が所用で実家に帰って留守の間、
君からもらった写真をいつも眺めて過ごしていたんだ。
「元気にしてるかな?早く帰ってこないかな?」って、思いながら・・・ね。

でも、君を大事にしたいという気持ちとは裏腹に、日々の暮らしは
そうそう楽にはならず、結局、君には並々ならぬ苦労をかけた。
遠い土地に一人で来て不慣れなことも多く、精神的につらい時期もあったね。
あの時は、守ってあげられなくてごめん。

君は僕に、「私と結婚して良かった?」って真顔で聞くけど、
そんな当たり前のこと、今さら聞くなよ。
僕が大病もせず、こんなに長生きできたのは、君との生活が満足だったからだ。

ただ一つ、心残りなのは、上の子どもたちを希望する上級の学校に行かせて
やれなかったこと。これも僕の不甲斐なさの故だ。

来年は、結婚60周年を迎える。
長い間、愚痴一つ言わず、ともに歩いてくれてありがとう。

生活は一変し、豊かな世の中になった。
モノがなくて生きることだけに精一杯だった僕らの時代は終わった。
何もなかったから、僕は自分の心を君に預けたよ。


今まで何も言わなくて、ごめん。


愛している。


 ※ これは事実に基づいて書いたあかねの妄想の手紙です。
   え!?こんな妄想女についていけないって?
   まあ、そういわずに、お付き合いくださいって。


いつもありがとう。


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過去ブログから〜その2「愛するあなたへ」


過去ブログから〜その1 に引き続き。

次は母の手紙です。

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昭和家族


「私と結婚して良かった?」

何故、あの時、口について出たのか分かりません。

春の日差しにまどろむ中で、ふと、あなたと出会った時の
あの暖かな気持ちが蘇ったからかもしれません。

あなたは思いもよらぬ顔をしたかと思うと、ポツリポツリと
話しかけて下さいましたね。
そこにいたのは、59年間、まるで「私の知らないあなた」でした。

私は、8人きょうだいの末っ子。
姉や兄たちから可愛がられ、自由奔放、甘えん坊で幼い時を過ごしました。

やがて戦争が始まると兄たちは出征し、二度と戻って来ませんでした。
優しい優しい兄たちでした。

母は、袴まで用意し、私に教師になることを勧めましたが、
私は、従軍看護婦になると決心していました。

けれども、思うようにはならない時代でしたね。

日本は負けました。
私の周りのりっぱな方々がたくさん亡くなられました。
戦争で私たちの夢は、青春は、狂いました。

私に残された生きる道は、結婚することでした。
様々なところから、縁談が来ました。
でも・・・・嫌で嫌で・・・・。
親不孝と知りながらも断り続けていたのです。

でも、ある日、あなたのとのお話。

不思議なものですね。その時だけは嫌だと感じなかったのです。
見たこともないあなたに・・・・・。

これが「縁」というものなのでしょうか。

結婚してからは幸せでした。

あなたは子どもたちの面倒もよくみてくれて、
私にも手紙をくださったり、いつも気遣ってくださいました。
私はずいぶんと、あなたに甘えさせていただきましたね。
だから、あなたが、そんなにもつらい思いをして生きていた
ことがあったなんて、思いもよりませんでした。
私は、気づいてあげられなかった。ごめんなさい。

10歳年上のあなた。
私は5歳年を取り、あなたは5歳若返るの。
お互い5歳ずつ歩み寄って、ちょうどいいのです。

もう長くはないでしょう。でも悲しくはありません。
みんなが元気で笑っています。

子どもたちの写真は、それぞれにすべて渡しました。
私自身の写真も、持っていません。
今あるのは、あなたの写真だけ。
あの日、私があなたから頂いた写真です。
あなたも持っていてくださったんですね。


幸せです。


母

   ※ 事実に基づいた、またまたあかねの妄想です。
     戦争で亡くなられた方々、今の日本を見たらどう思われるでしょうか?



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