2009年09月19日

「メンター」

この頃は、弓の方が忙しくなってきていて、 泳ぎに行くのが、週1回行けるか行けないか程度。 一時は、マスター大会を目指して練習したこともあったけれど、 思いのほか、水泳は体力を消耗し、 やりすぎると弓が引けなくなることが分かってからは、 ペースを落としました。 今は、水泳は、体のメンテナンスとしてやってます。 全身の筋肉をなるたけ伸ばすように使うし、 左右対称的に使うので、私にはとても有用だと思うのです。 でも、やりたいことが溜まってくると、この週1回が億劫になってきました。 それで、(2ヶ月くらいクラブを休会しよう・・・・今日こそ言おう。)と、 昨日、レッスンに参加しました。 ダメですね。 言えません。 コーチがすごくいいんです。 いっしょにレッスン受けているメンバーも。 コーチは、私よりも3つくらい年上の女性です。 現役スイマーで、マスター大会の背泳ぎ部門では、 金メダルを受賞するような実力の持ち主。 的確なアドバイスあり、豊富なメニューあり、 指導は迅速、優しさの中に厳しさもあり、 押し付けはなく、いつも心が平静で、 ほどほどに雑談も。 非が見当たりません。 コーチの中で人気ナンバー1です。 ともに泳ぐメンバーは、私よりも年上の方がほとんど。 みなさん、冗談も上手くて、明るくて、謙虚。 われがわれが・・・・という人はいません。 しんどくても、いっしょにいるとつられて笑ってしまいます。 私が少しでも後ろ向きなことを口走ると、 「そりゃ違うで?。」なんて言いながら、 逆の発想で、いろんな考えを教えてくださいます。 これらがあると、とても止められません。 学ぶことがまだまだたくさんあって、 会わずにいられません。 昨晩、内田樹先生のブログを読みました。 そこにこんなことが書いてありました。 「私がどこに行けばいいのか教えてくれる」人のことを「メンター」という。 私自身は自分がどこに行けばいいのか知らない。 けれども、その人は私の行き先について知っている。 そういう人を見出さなければならない。 だが、どうやって? 自分の行き先があらかじめわかっていれば、「ここに行く道を知っている人、いますか?」と訊ねることができる。 でも、子どもは自分の行き先を知らない。 にもかかわらず自分をあやまたず行き先に導いてくれる人を捜し当てなければならない。 それが「正しい行き先」であったかどうかは、着いてみなければわからない。 でも、感度のよい子どもはそこに行く道を、とりあえず途中まででも、先に進めてくれそうな人を探り当てることができる。 ・・・・・・・ 私たちの世界では、あらゆる人が潜在的には「メンター」として機能する。 すべての人が何らかの仕方で、「私」がどこにいて、何をしているのかについて、その人しか与えてくれることの出来ない唯一無二の情報を持っている。 その人を経由したせいで、目的地に早く着く場合もあるし、長い迂回を強いられることもある。 けれども、いずれにせよ、彼らに出会う必然性が私にはあったのである。 ・・・・・・ 「これを学ぶことが何の役に立つんですか?」という問いを教育の場で許してはならないということはこれまで何度も書いてきた。 学んだことが「役に立つ」かどうかを決めるのは学ぶもの自身である。 価値は知識や情報や技術に内在するのではない。 それを用いる人間が構築するのである。 私は、体験が少ない方だと思います。 頭で考えて結論を出してしまう方です。 ですから、人より狭い世界に住んでいると思います。 出会った人の数も少ない方でしょう。 でも、内田先生の考えから行けば、自分がどこに行けばいいのか、 とりあえず途中まででも教えてくれる人を探り当てながら、 ゆっくりですが、私が行くつく場所に向かっていると思います。 「彼らに出会う必然性があった。」 まだ会っていたい。 当分、メンバーに引っ張っていってもらうことになりそうです。
posted by akane | Comment(0) | 日記