2009年05月15日

世界観を見直す。


昨日、感動したことを二つ。

まず、一つ目。
先日、ここに書いた、朝にお会いする「おばさま」。

ご婦人というよりも、おばあちゃんというよりも、オバサンというよりも、
何よりも、上品な感じを表現したくて、「おばさま」と書いた。

昨日は、同じ歩道の向かい側からいらっしゃったので、少しお話した。

「お散歩なさっているのですか?」

「ええ。健康のために。向こうまで歩いて、ここまで戻り・・・・・、
 あ!家はすぐそこなのですが、もう少し、あちら側まで歩いてみようと思います。」

「いいですね!」

「わたし、82歳なんですよ。」

「えーーーっ!?とても(その年齢に)見えません! スタイル抜群!ですね!」

レースで縁取られた黒い日傘、綺麗な曲線を描くヘアーカット、
笑顔に似合う朱色の口紅、風に揺れるブラウス・・・・・
何よりも、テンポのいい言葉遣いと声。

82歳は、腰が曲がって、ベビーカーのような押し車を押し、
もしくは、杖をついて、グレーやこげ茶の服をまとい・・・・・ではないのか?

いや、わざわざ、そんな型にはめなくてもいいのだ。

無意識に、「その歳だったらこんなイメージ、そうならなくては。」と、
思い込んでいる思考を断ち切ろう。
そのような思考は、様々な場面において常につきまとっている。
無限に広がる可能性をつぶしてしまう。

それから、二つ目。
二人の先生の言葉にピンときたので、これも忘れずに記録しておく。

<内田樹先生の言葉>

どれほど「ろくでもない世界」に住まいしようとも、
その人の周囲だけは、それがわずかな空間、
わずかな人々によって構成されているローカルな場であっても、
そこだけは例外的に「気分のいい世界」であるような場を
立ち上げることのできる人間だけが、「未来社会」の担い手になりうる。
私はそう思っている。
私が二十代の終わり頃に「カタギ」の世界に戻ろうと決意したとき
自戒としたのは「気をつけよう、暗い言葉と甘い道」という標語であった。
「暗い言葉」を語る人間にはついてゆかない方がいい。
それが二十代の経験から私が引き出したひとつの教訓である。



<茂木健一郎先生の言葉>

世界のすべての人と同意するのは不可能である。
何よりも、「多様性」という視点から、そんなことは望ましくない。

志向性を同じくする人と、つながっていくしかない。

共感できる友人の大切さを、しみじみと噛みしめる。

弱きもの我ら、身を寄せ合って温かさを力とするなり。




posted by akane | Comment(0) | 日記